私とカートゥーンと鈴と。: 大人向け"カートゥーン"について Cartoon For Adults

大人向け"カートゥーン"について Cartoon For Adults

大人向け"カートゥーン"について
Cartoon for Adults


 よく、日本のアニメは大人向けが多いと言われている。そのジャンルに含まれる作品は、胸が熱くなるストーリーや、奥深い展開に設定、そしてハリウッドでも揃えられない名声優達の演技などによって、大衆を魅了している。

 そうすると、海外にはそういった作品は存在しないのかと思う人がいる。酷いときには、「過激にできない米国のアニメは子供向けしかない」などど、言い出す始末。そんなことはない。海外にも、負けず劣らずの魅力的な作品は数多くある。

 今回は、そんな海外の大人向け”カートゥーン”の特徴と代表作を紹介していく。

 まず、なぜ大人向けのアニメでなく、わざわざ"大人向けカートゥーン"というのかを説明する。日本の大人向けアニメというと前述の通りの特徴を揃えたものが殆どである。しかし、海外の"大人向け"となると話が変わる。海外、特にアメリカ合衆国ではドラマも映画もアニメも半世紀以上前から厳格に分類する活動が存在する。そのため規制が日本以上に"極端"に厳しいのである。そして、ある要素が一つでも含まれていれば即座に青年向け・大人向けとなってしまうのである。

 例えば、『クレヨンしんちゃん』では尻を曝け出すシーンがあるのでTV14(所謂日本のR-15指定)。『NARUTO』や『ワンピース』などの少年漫画原作のアニメでも映像を変えずに翻訳すれば、流血シーンや煙草の喫煙、銃刀が存在するためTVMA(17歳以下は閲覧禁止)となるのである。

↓左・上)TVMA版、右・下)TVG(全年齢)版

 ※現在ではTV-14で抑えられている。90年代までのアメリカでは"過度"という言葉が生温いほど極端な規制が敷かれていた。

 その影響で、アメリカを中心とした海外では"大人を対象にしたアニメーション"を製作しようとすると、【規制が解除された分破茶目茶な作品を創る】だとか、【銃刀、流血、喫煙、放送禁止用語バンバン使おうぜ!】と言った具合になるのだ。

残虐表現そのものが
魅力の一つとなった異色作①

 じゃあ、可愛いキャラクターと彼らに襲いかかる残虐な仕打ちが見所のHTF『ハッピー・ツリー・フレンズ』①はどうなるのかというと、アレは該当しない。"アレ"は造り手側の悪ふざけが炸裂したグレムリンの悪戯のそれで、残虐な行動そのものを笑いの種とする傾向が強く、重く受け取るべき行動とは相反するものだからだ。ジョークとして"アレ"を見ていない方はまさかいないよね...?


 それでも、刺激の強い映像であることには変わりないので、『ハッピー・ツリー・フレンズ』PG(保護者の管理下であれば12歳以下でも視聴可能)としている。

 つまるところ大人向けカートゥーンとは、"欧米圏で該当する小学生以下には適さない過激な表現を含む"、または"端から子供を相手にしない海外のアニメーション"である。


 以上のことから、大人向け"カートゥーン"と分類しないと、意味が判らなくなるのである。

 次にそういった大人向けカートゥーンの歴史を簡単に説明する。

 銃社会のアメリカの文化的背景を紐解いていけば、"現代"のアメリカ社会で銃器の所持やその発砲がタブーなことも納得がいくだろう。しかし、そうすると今度は「子供の頃に見た『ルーニー・テューンズ』や『トムとジェリー』じゃ思いっきり登場してたぞ!」と反論する方が大勢出てくるだろう。その意見は規制云々の観点から言えば、それらの視聴者の大半が勘違いしているだけである。

 ディズニーやワーナー・ブラザーズ、MGM、ユニバーサル等の映画スタジオがしのぎを削って短編アニメを公開していた30~50年代。その時代には現代のような規制も批判の声も緩く、比較的自由な空間で製作していた。しかも、テレビが一般家庭に広く普及する前は、映画館がテレビの役目を請け負っていたも同然の状態だった。そして、その時代の短編アニメーションは専用枠が設けられることは数少なく、同時上映か映画と映画の場繋ぎを請け負う存在だった。

今では決してできない表現の一例
『ドナルドのジレンマ』(1947)より

 つまり、端から子供達は相手にしていなかった。むしろ、アニメーションは大人が楽しむための嗜好品の一種だった。血や臓物はなくとも体全体が砕け散る描写や、闇雲に中を乱射する描写も、気軽に笑えるギャグの範疇だった。そして、アニメーションは映画の添え物でなく映画産業を支える要素の一つとして、1930年代当時の業界関係者に認知されていた。


 その証拠に、アカデミー賞短編アニメ賞は第五回(1932年)から創設されている。下記の賞よりも優先して創設されたことを知れば、如何に重要度が高かったかが伺えるだろう。

歌曲賞 1934年 作曲賞 1934年 編集賞 1935年
助演男優賞 1936年 助演女優賞 1936年 視覚効果賞 1939年
脚本賞 1940年 外国語映画賞 1947年 衣裳デザイン賞 1948年
音響編集賞 1963年短編映画賞 1974年 長編ドキュメンタリー賞 1980年
短編ドキュメンタリー賞 1980年 メイクアップ&ヘアスタイリング賞 1981年
長編アニメ賞 2001年


 しかし、ハリウッドを巻き込んだヘイズ規制によって、作品の分類が始まったのである。1950年代からTVが普及し始めた頃、劇場で公開された作品から煙草・人種差別・殺人描写などが削除され再編成した状態で放映されていた。テレビ向けに再編集されたアメリカンアニメーションの姿は酷いものだったが、内容の改変までには及ばなかった。問題なのは、愛着のあるキャラクターばかりに注目がいって、"アニメは子供のもの"という考えが普及したことである。

 本来であれば狂人であるはずのキャラクター(ウッドペッカー、ドナルド、ダフィー、ポパイ、ベティなど...)が、毒のない姿としてテレビに映ることはその動きを加速させた。



 そんな中、6,70年代には子供から"嫌々観る"大人まで楽しめる作品として、"大人でも楽しめるアニメ"の始祖が登場する。『原始家族フリントストーン』②、『宇宙家族ジェットソン』③、『空飛ぶロッキー君』④といった作品群である。原始家族・宇宙家族は、現代のアメリカ人が抱える身近な家族問題や社会問題を扱い、日本の典型的な家族が映るサザエさんのような安心感を与えてくれた。しかも、ちゃんと捻った脚本で笑わせてくれた。

 後者の『空飛ぶロッキー君』では、【共産主義色の濃い悪党を動物がやっつける】という単純明快なストーリーに大人でも笑える皮肉のきいた台詞や仕草で、大衆の支持を得たのである。しかし、依然として【アニメは子供向け】というイメージは覆すことはなかった。

新トムとジェリー(1975)
デザインを大幅に改造し
より万人受けに仕上げている。

 70年代ではその動きは加速していき、80年代中盤のあたりになると、短編・長編を含めて悲惨な状態となっていた。70年代からは、過去の遺産を再利用する形で『ピンクパンサー』や『トムとジェリー』⑤、『ポパイ』等の名作を幼児化させて新番組を制作する傾向が多く見られた。そして、その多くが大半の日本の漫画・アニメの実写化作品のように失敗に終わっていた。特に、キャラクターのイメージが独り歩きしたトムとジェリーは最悪だった。TVアニメの内容こそ単純で幼稚なのに、彼らの大衆性が悪く作用した影響で、"人気が低下しても定期的に続編が打ち出せる"という前代未聞の事態に陥っていたのだから。


 長編作品でも同じかそれ以下の状態だった。演出の天才を失ったウォルト・ディズニー社は"斬新"な映画から"古臭い"映画を公開する企業に成り下がり、それ以外の映画会社は余りにもリスキーな長編アニメに手を出す機会が減少していった。また、70年代には演出や映像こそ奇抜で魅了される映画作品こそあっても、全体を通して"斬新"だと実感できる作品は皆無に等しかった。その例『アンとアンディーの大冒険』/『ビアンカの大冒険』/『ペイネ 愛の世界旅行』

 80年代中盤になると、人気作品の大半は【玩具の販売促進/作画は海外外注/原作はアメリカ国外】という状態で、アニメ産業は瀕死も同然だった。しかし、80年代後半になると、【ケーブル・衛星放送の誕生、外国産のアニメに刺激されたアニメ関係者、その状況に不満を持った新人クリエイター】の手によって不死鳥のごとく復活することとなる。パラマウント映画を再建したマイケル・アイズナージェフリー・カッツェンバーグのコンビによってディズニーは復活し、続々と新設される放送局用のコンテンツとしてアニメが多く採用されていった。


 そして、1989年に現在の欧米圏における大人向け"カートゥーン""シットコムアニメ"の代表作が登場する。それが、『ザ・シンプソンズ』である。原作者マット・グレーニングが描くアメリカ人が共感できる黄色い家族は国内外を問わずで大ヒットした。この作品は、アメリカでは珍しい1話30分の方式を採用し、社会風刺や大人向けのジョーク、極限まで凝縮された完璧なストーリーを混ぜ込んだ革命的なものだった。この作品の以後、二匹目のドジョウを狙おうと、大人向けの作品が増えていき現代に至るというわけだ。

 

最近では子供向けアニメでも面白いものが増えてきている(アドベンチャータイム、グラビティフォールズ、RWBY等)のだけど、それはまた別記事で。

  

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