私とカートゥーンと鈴と。: 風が吹くとき When The Wind Blows

風が吹くとき When The Wind Blows

風が吹くとき When The Wind Blows
1986 (英) 85/100 このまま、フィクションであって欲しい。
 世界で唯一原爆の被害を受けた国、日本。技術革新で核の威力が増大しても、人々の意識が変わることはない。原爆は、当事国でジョークの一種として扱うかその事実を黙認し、被害国は史実やフィクションを用いて"極力"忠実にその被害を伝え、直接関わらなかった国々は毛の生えた爆弾としか認識しないのだ。

 今回は、そんな原爆が題材の作品。
あらすじ
 イギリスの片田舎。そこには、細々と年金生活を送る老婦人のジムとヒルダがいた。そんな中、世界情勢は日を追うごとに悪化の一途を辿っていた。ある日、ラジオ放送から戦争が勃発したことを知ったジムとヒルダは、政府公認のパンフレットに従い、保存食や日用雑貨、そしてシェルターの作成といった準備を始めた。その直後、3分後に核ミサイルが発射されたことを知り、一目散にシェルターに駆け込んだジムとヒルダ爆風の被害を辛うじて避けたのだった。しかし、互いに励まし合いながらも放射線の被害により衰弱していき...
予告編
 

紹介&感想
 原作者は、さむがりやのサンタ』『スノーマン』といった傑作を表してきたレイモンド・ブリッグズ。彼は、英国で第二次世界大戦の頃から発行されていた、"政府公認"の災害対策パンフレット"Protect and Survive"『保護と生存』の内容に不満を憶えていた。核戦争がいつ勃発してもおかしくない冷戦中なら尚更だ。第2次大戦やキューバ危機を乗り越えた1980年に、彼は徹底的なリサーチの上で本作を描き始めた、パンフレットに描かれた方法を作品内に添えて。

例)白ペンキが爆風による熱を軽減する。
  自宅のドアを用いて空間を作り、そこを核シェルターとする。
  食器を洗う際には、放射能を洗い落とせる砂を利用すること。

放射能や核の知識を街や図書館で得ようしても、参考文献のない嘘っぱちの資料しか存在しなかった。そのため彼は、核医学を専門とする学会や広島の被害状況を徹底的に調べ尽くしたのだった。結果的に、彼の核へのリサーチは最終的に当時の欧米圏の中で、最も精巧なものとなったという。

 さて、原作を読んだ経験がある方なら分かるだろうが、本作品はアニメ向きではない。登場人物は会話する人間でも3人、メインキャラは2人だけで、雑談が大半の内容である。そんな原作を見事に映像にしてしまうのだから、日系アニメーターのジミー・T・ムラカミ監督は凄い。




 原作にあった解説臭い会話は半分ほどカットしたものの、メッセージ性が衰えていないのがプラス。原作にあった回想シーンを膨らませて、映像としても見栄えのあるものにしている。また、登場人物はアニメーションで自宅内背景を実際のミニチュアセットで構成し、不気味ながらも生々しいリアリティを生み出している。

 また、第2次大戦や世界情勢の解説にはユーモラスなアニメーションが展開される。崩壊した陰惨な世界の空気を緩和するカンフル剤として機能する。実際、そのアニメーションがなければ、本編は(メッセージ性のある)娯楽作品として成立しなかっただろう。

 主題歌は『When The Wind Blows』。マザーグースの余韻を残す歌声を披露したのはデヴィット・ボウイ。劇中にも登場する聖書の言葉を引用したのような戒めが、歌詞に加えられており、本編と同じくらいの説得力を持つ曲となっている。

 本編の感想をいうと、本作品は怖い。身の回りで起きてもおかしくないから怖い。

 日本語吹き替え版では、『戦場のメリークリスマス』を手掛け、藤原竜也を厳しく指導した大島渚氏が監督森繁久彌氏と加藤治子氏が主演となり制作された。日本公開時には、原爆被害者を試写会に招いたらしい。その場で彼等は、核の恐ろしさ、悲惨さはこんなものじゃない。」という意見が多く寄せられたらしい。確かに、肉体的な被害はそんなものでないのだろう。しかし、この作品には他の作品にないものがある。それは、現実感である。

 『はだしのゲン』では、肉体の衰弱や疲労困憊を生理的嫌悪感全開のグロテスクな絵で読者に衝撃を与えたが、あくまでも体験者からの創作だった。本作も創作であることには変わりない。しかし、英国のどこかにいそうな平凡な老夫婦を主役に充てたことで、"身の回りに起きてもおかしくない"と想わせるリアリティが生まれているのだ。老夫婦のモデルが作者の両親ということを考えれば、尚更だ。

 主人公のジムとヒルダは、政府の発言に疑問を投げかけることもなく従順で、何の事実も知らされぬまま息絶えていくのである。"事実を知らない"恐怖を、ここまで温かみのある絵柄で映像化した作品があっただろうか? 例えば、原爆被害によりコンクリートが溶けていても、「バーベキューでもやっているんだろ」と楽天的に考え、衰弱していく中で髪の毛や歯が腐り落ちて唇から血が爛れても「老化現象だ」と考え、最後には必ず政府が救いの手を差し伸べてくれるものと信じることを止めないのだ。

 日に日に衰えていく彼等の姿は、生気がなく皮膚がやつれている。終盤は、目を背けたくなる。確かに、『はだしのゲン』よりは被害が薄いかもしれない。しかし、本作品の方が身体の疲弊が伝わってくるのだ。

 また、本編の途中の電話シーンで核シェルターに関して息子は笑っていたが、それは冗談を笑っているのではなく、逃れられない事実を前にして只々笑っているのではないだろうか。まあ、息子にそんな知識はないか...
 

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