私とカートゥーンと鈴と。: 原作愛と原作崩壊が入り混じる『ピーター・ラビット』 Peter Rabbit

原作愛と原作崩壊が入り混じる『ピーター・ラビット』 Peter Rabbit

ピーター・ラビット Peter Rabbit
2018 (米)



ピーターラビットの回想場面

 1990年の『ピーターラビットと仲間たち』から進化した映像技術をフル活用している。挿絵がそのまま動かしたようなアニメーション。実写映画との落差を最低限にするために、表情は本編の大部分で採用された3Dモデルを基本としていたのは玉に瑕だが、"2D調アニメが終盤まで続いて欲しい"と懇願したくなる出来であった。

 特に、マクレガー家でのピーターの父親に起きた悲惨な最期を目撃する場面を観た時には「もう入場料の元は取れたぞ!」と実感するほど、素晴らしい映像だった。

現代向けアメリカナイズされたうさぎたち

 ピーターは人間側からすればイタズラ好きの害獣だが、"クソ野郎"ではない。ところが、畑を荒らし回る人間と動物の対峙を中心に描いたことで、非常に腹が立たしい主人公となっている。

 原作は英国だが、スランプスティックやコメディのそれは非常にアメリカ式だ。『Mr.ビーン』や『ベニー・ヒル・ショー』、『空飛ぶモンティ・パイソン』、『ウォレスとグルミット』などの英国のコメディは、静寂さと繊細さを散りばめつつ、壮絶なオチや台詞で大衆を笑わせてくれることが多い。内容こそ強烈で過激と呼べるものの、一見してもそのメッセージ性が即座に判定できないのが"ミソ"なのである。

 ところがアメリカ式となると、波瀾万丈・シッチャカメッチャカ・大騒ぎという感じで、とにかく大袈裟で直接的だ。視覚的な衝撃を常に与え続けている。物静かだと感じても、重要な場面での雰囲気作りが殆ど。"コメディ"にも関わらず...

 原作の『ピーターラビット』では、田園風景に囲まれた英国の人間と動物が仲違いしつつ、共存する世界観が存在する。本作に登場するマクレガーさん(爺さん)もそのうちの一人だ。ただ、マクレガーとピーターが熾烈な闘いを繰り広げるのは二編のみ。万人受けした主人公の両親を喰い殺したという設定で印象的な悪役として見栄えするから、彼を準レギュラーに昇格したのだろう。しかし、実写版にはどうにも型がハマらなかった。
 
 原作絵本でも耕作せずに人間の畑から頻繁に窃盗を繰り返すことは大半であったが、その設定には"自然の掟"として問題なく飲み込めた。ところが、現代を象徴する訳ありのビジネスマンと、表面的にしか動物を愛さない女性の登場で、その"掟"が完全に崩れ去ってしまったのだ。英国ではウサギは食用動物として認知されており、彼らは日本におけるカラスや猪、たぬきや熊と同様に作物を手当たり次第に食い散らかす。日本では食肉の売買こそ存在するものの、あくまで犬猫と同様の愛玩動物として扱う人が大半だ。

 つまるところ、舞台となる英国においては害獣だ。いくら画面越しにウサギの可愛さを積極的にアピールしたところで、それは救いにも、行動の抑制にもならない。なお、自動翻訳機や魔法の力を借りずとも、人間と動物の間で会話できるのは原作通り。自然と動物と人間が密接に交流し、文明の発展と共に順応性をお互いに高めてた軌跡の表れなのだ。そこに関してはアニメ版でも同様。

 現代向けのアレンジでウサギ寄りの人間を出演させることは全然悪くない。だけど、ビアは完全に偽善者だ。英国の自然の摂理にアメリカ式コメディを持ち込んだ結果、畑を荒らし回るだけで種を植えて耕さないうさぎ共と、野菜とうさぎ好きをアピールする癖に"率先して土壌に触れることすらない"彼女には苛ついてしまった。

 ソニー・ピクチャーズ・アニメーションのCG技術自体は非常にうっとりさせられる。

 毛皮に覆われたモコモコのうさぎたちの表面、喜怒哀楽の表情の変化、衣装と言動に頼らない分別のついた動物のデザイン、どこをとっても綺麗だ。原作絵本で活躍するウサギ以外の穴熊や狐・豚・蛙(一瞬)・他多数も手抜きの様子は全く無い。豚が"豚のごとく"貪り食う場面や、本来であれば一目散に退散するはずの狐と何の隔たりもなく会話する場面には笑わせてもらった。

 野菜を投げ合い、分量に関係なく餌の為なら人命すら躊躇せずに殺そうとするウサギの活躍を、フィクションのドタバタとして割り切れるならお勧めできる作品。正直、"ピーターラビット"という題名でなければ、異色のブラックコメディとして受け入れたと思う。

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