私とカートゥーンと鈴と。: Down and Dirty Duck

Down and Dirty Duck

Down and Dirty Duck 
1974 (米) 60/100
 50年代から70年代前半にかけて、米国映画産業は衰退に追い込まれていた。TV放送の登場によって定期的に観る媒体ではなくなったことが大きな要因となっている。そんな中で映画会社は市場稀に見る超大作や、テレビ放送では到底出来ない方法でその窮地を切り抜けていった。

 そんな暗中模索の日々を駆け抜けた映画会社の対策の一つだったのが、"アダルトアニメ"である。黎明期の作品は、快楽をただ求めるだけに量産された映像や、シットコムの名を借りたブラックコメディのような現代的なものとは全く異なるものだった。実写映画ではできない巧みな演出や、出版社の規制を打ち破った奇妙奇天烈な作風が特徴的な作品が多数を占めていた。

 そのジャンルの初期の代表作『フリッツ・ザ・キャット』は興行的に成功を収め、社会性とエロチズムを全面に押し出した衝撃的な内容と1960年代の"性の革命"世代へのアピールで観客を惹きつけ、1億ドル以上の売り上げを収めた最初のインディペンデント系アニメーション映画となった。

 前代未聞の大成功を目の当たりにすれば、二匹目のドジョウを掬おうと躍起になるのが商売人の性。今回紹介するのはそんな作品。

予告篇


あらすじ
 温厚な保険調査員・ウィラードは仕事もろくにしないダメ社員。家に居ても、職場でも、性欲に塗れた想像に浸る毎日を過ごしていた。そんな中、彼の担当だったタトゥーアーティストは、オカルトグッズで死期を悟り保険金を心待ちにしていた。ところが、ウィラードが死ぬまで保険金を支払われないことを伝えると、彼女はそのショックで心臓発作を起こし、帰らぬ人となってしまう。その後、ウィラードは、彼女の遺言によって彼女と暮らしていたアヒルの世話をすることとなり...
酒池肉林の並行世界で性欲が大爆発

 本作は元々、cheapという題名で製作されたものの監督の反対によって"down and dirty duck"という題名で公開された。しかし、ビデオリリースの際に"Dirty Duck"と目まぐるしく題名が変更されている。しかし、本編では作品全体のテーマを提示する形で、"Cheap"安物だということを耳にタコが出来るほどしつこく解説しており、不名誉な題名であったにしろ“Cheap“こそが相応しいのだと思わせる。

 原作自体は一般の出版社から輩出されたコミック本であったが、『フリッツ~』で特徴的だったアンダーグラウンド系だと一目でわかる荒々しい作風に変更されている。本編が始まると西部劇がいきなり終わる。別な映画が始まったと思ったらいきなり終わる。その後、中古車両の販売代理人が映画の案内を始める。その場面の会話は差し障りのない普通なものとなっているが、彼が情緒不安定に感じられるほど残虐で不条理な行動が目立つ。

 『フリッツ・ザ・キャット』でも脈絡のないらんちき騒ぎが描かれていたが、こちらの場合は脈絡どころか筋書きさえまともに進まないから厄介だ。




 一応の物語は進んでいくものの、具現化された漫画的描写の全てが筋書きをどうでもいいものにさせてしまう。社会的抑圧や学生運動を主軸した内容で単なるセクスプロイテーション映画ではないことをアピールした『フリッツザキャット』とは異なり、本作ではヒッピー達の幻想世界やモンティパイソンの寸劇アニメの中に放り込まれたような感覚に陥る。 状況の理解を放棄させるような素っ頓狂なアニメーションは、“アダルトアニメ”だからこそ可能な描写に満ちている。

 以下その例)
 優柔不断で冴えない主人公ウィラードはコーヒー休憩をきっかけにデートの約束を契ろうとするが失敗し、落胆する。そのシーンでは足から丈夫の身体が陰茎へと変貌し、性欲を剥き出しにしている。

  窓際に添えた一輪の花にキスするのかと思えば、PCゲームのTomacと化した女性に顔を擦りへらせる。

 ウィラードは、勤め先の保険に加入した女性の死を目の当たりにする。その際に、彼女の飼っていたアヒルは遺言書を彼女の尻穴から捻り出す。

他にも様々。

   本編の後半から頻繁に登場する幾何学的な背景美術は、彼の理想の夢を具現化させている。特に、アヒルがウィラードを励ますために連れて行く風俗店での画面のシュールさは半端じゃない。営みを想わせる台詞の全てが演技でなく、実演して録音したような生々しい音声は、絵柄の素朴さも相まって中々のリアリティがある。

    このように、本作では一風変わったエロティズムの境地を堪能できるものの、本来あるべき姿の”おかず“としての側面は皆無で、抜けることは(多分)ない。

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