私とカートゥーンと鈴と。: 王様の剣 Sword in the Stone

王様の剣 Sword in the Stone

王様の剣 Sword in the Stone
1963 (米) 50/100
監督 ウォルフガング・ライザーマン
脚本 ビル・ピート
原作 T・H・ホワイト『永遠の王"The Once and Future King"』
製作 ウォルト・ディズニー,ロイ・O・ディズニー
音楽 ジョージ・ブランズ
撮影 ボブ・ブロートン
編集 ドナルド・ハリデイ

 ウォルト・ディズニーが生前最後に公開を見届けた長編アニメーション。原作はアーサー王の少年時代を描いた作品。
 
 子供の頃は、何故か『不思議の国のアリス』や『ピーターパン』以上に印象的な映画で、オープニングの優雅ながらもおもちゃの兵隊が行進してきそうな愉快な音楽が魅力的で、内容を忘れても主題曲だけは心の中で輝き続けていた想い出深い映画だった。

あらすじ

  •  世継ぎ争いに混乱するイギリスにある奇跡が起きた。突如として、石の台に刺さった王様の剣が現れたのだ。その台には「これなる剣を石の台より引き抜きし者があらば、その者こそ真のイギリスの王である。」と書かれていた。力自慢が集い、その剣を抜こうとするが、誰も抜くことは叶わず、その存在は過去の物となっていった。
     数年後、12歳の孤児ワートは、乳兄弟ケイの狩猟に同行し、彼の足手まといになってしまう。その後、ワートは森の中のコテージに迷い込み、魔法使いの老人マーリンと気むずかし屋のフクロウ、アルキメデスに出会う。 ひと目見て彼を後のアーサー王だと悟ったマーリンは、ワートの家庭教師となることを告げるのだが..
本編オープニング


 しかし、久し振りに見返してみれば、なんとまあ退屈なことよ。筋書きが薄いことはこの時期のディズニー映画では定番化しているとはいえ、この単純さは『おしゃれキャット』といい勝負だ。

 登場人物たちは"悪い意味"で個性的だ。主人公のワートは痩せ細ったごく普通の少年。あまりにシンプル過ぎてイマイチパッとしない。彼のひ弱な姿は応援したくなるというより、周囲の野蛮さを強調させるだけで好感が持てない。彼の先生役のマーリンも偉大なる魔法使いというオーラはなく、ボケ始めた老人に近い。その他、道中で出会すストーカーの雌リスやひたすらおっかないマダムミム、ワートの兄さんと親父など全員に好感が持てず、何かととろ臭いのだ。

 特に、魔法使いのマーリンは余りにも勿体無い。マダムミムを画期的な方法でギャフンと言わせ、現在と過去を行き来する能力を持ち合わせているのに、活用の仕方が中途半端。本編中にも途中形而上学的な発言を何度も発するだけで、好々爺のそれと変わらないキャラ像のままなのはどうにかならなかったのか。


 『101匹わんちゃん』から採用されたセル画のコピーによる効率化、いわばゼロックスの功績によって、アニメーションにそれほど致命的なブレはない。こちらでは、斑の位置が微妙に異なる子犬達を一斉に登場させるといった効率化の強みを活かし、独創性を見出していた。しかし、『王様の剣』では技術的なことで特筆する要素があまりない。


 また、ディズニーの魔法の描写といえば、『シンデレラ』のようなものを期待するだろう。舞踏会の支度の場面で水晶の如く光るドレスやカボチャの馬車や、童話の幻想をそのまま反映させた"少女"は、着飾るもの全てが魅惑的で思わず見惚れてしまうほど。本作の場合、英国で古くから伝わる古典的な伝説を漫画的要素を強めてコメディ寄りにしているため、魔法にかかる演出はあくまでも出来事の変化か、ギャグを見せる役割しかない。

 現代人から見ても異様に不気味な全自動食器洗いや、終盤のマーリンとマダムミムによる魔法合戦の場面も妙ちきりんなだけで、どこか不格好に見える。

 致命的なのは、映画全体が主人公の周りに起きた騒動を描いているだけで、物語になっていないことだ。少年に国王に必要な教育をさせる設定は興味が沸くものの、そこから生み出されたのは教訓だけで、物語の鍵を握るものも伏線もなにもない。勿論、歌に乗せて命の大切さや多様な見方を教えるのはいいが、それだけなのである。王位継承者の証である剣を抜くことと、本編全体を通じて学ぶ教養が全く結びつかないのだから驚きだ。

 また、これは吹き替え版限定の問題なのだが、現在販売されている現行版の方は個人的に歌として成立していないように聞こえるのだ。個人的に旧吹替と現行版を聴き比べると、現行版が寸詰まりしたような歌詞だと感じる。歌詞自体は現行版の方が凝っているのだが、口遊んでいるだけでこちらは歌とは程遠く感じるのだ。

⬇現行版

⬇旧吹替版


 主題歌の力は凄まじいのだと実感した一作。
 

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