私とカートゥーンと鈴と。: スヌーピーとチャーリー A Boy Named Charlie Brown

スヌーピーとチャーリー A Boy Named Charlie Brown

スヌーピーとチャーリー
A Boy Named Charlie Brown
1969 (米) 80/100
監督 ビル・メレンデス
製作 リー・メンデルソン
脚本 チャールズM.シュルツ
主演 ピーター・ロビンズ
   パミリン・フェルディン
   グレン・ジルガー
   アンディ・ポルシッチ
音楽 ヴィンス・グァラルディ
   ロッド・マクーエン
編集 ロバート・T・ギリス
   チャールズ・マッカン
   スティーブンメレンデス


 新聞漫画というのものは時事的なものが多い。どんなに愛着のあるキャラクターが活躍しても、話の結末や訴えかけるものはちょっとした皮肉や風刺がこもっているもの。新聞やニュース番組の報道の意味が判らなくとも、その日のコマ割り漫画を読めばその日の出来事を知ったような気になれるから不思議だ。

 稼ぎの少ない散髪屋の一人息子だったチャールズ・M・シュルツが誕生したのは、1922年。 物心ついた時から絵は得意で、幼少期には飛び級を経験するほど学力は高かったという。そんな作者の代表作『ピーナッツ』は彼の性格や個性を主人公に当てはめた新聞漫画だ。自分自身で認めるほど冴えない少年の不器用さや、子供達だけで完結する独特な世界観が特徴的な本作は、米国を始めとした世界75ヶ国で愛される漫画となっている。

 今回はそんなピーナッツの劇場用アニメの第一作の紹介。

予告篇


 なお、ピーナッツはキャラクター人気が圧倒的に高く、作中の台詞が名語録が数冊の書籍として発売されるほど広く認知されているが、原作を読んだ事がある人は"日本国内でいえば"ほんの一握りだ。最近では『アイス・エイジ』シリーズで有名なブルー・スカイ・スタジオの『I LOVE スヌーピー』や、フランス製作の『PEANUTS スヌーピー ショートアニメ』が有名だが、スヌーピーの映像化作品の数は貴方の予想を遥かに凌ぐだろう。

あらすじ

  •  何をやっても上手く行かず、いつもバカにされているチャーリー・ブラウン。あるきっかけでスヌーピーやライナスのスパルタ特訓を受け、スペリング・ゲーム大会で勝ち進むことを決意します。そして、学内1位になったチャーリーは全国大会へ出場することになって……。
『スヌーピーとチャーリー』の魅力は素朴さにある。

 『ピーナッツ』の最初の映像化作品、"A Charlie Brown Christmas"(1965)では、映像・演技・内容等、どの要素を抜粋しても大変地味である。魂が揺さぶられるアクションシーンも、涙あふれる感動の場面も、何もない。それでも本作では、クリスマスに好意的でないチャーリー・ブラウンを中心に子供が抱える心の問題を浮き彫りにさせ、それと同時にクリスマスのあるべき姿を描いている。そこでは、本物の子供を淡々と描いくことに、豪華絢爛な装飾も 、華美な音楽も、見惚れるような大人の演技も必要ないのだと証明している。

 テレビ特番の①とは違い、劇場用として公開されただけあって予算面では以前より潤沢である。しかし、その素朴さは消え失せてはいない。

 ピーナッツには子供しか登場しない。大人は声のみの登場でも、その音声は擬音で子供達の世界への介入は一切ない。それでも、その世界は大人の世界の縮図として描かれている。主人公のチャーリー・ブラウンの周りには、内向的であったり、夢想家だったり、駄々っ子などがおり、彼らは小学生でも生半可では通用しないのだ。




 チャーリー・ブラウンはいじられキャラではあるが、いじめられっ子ではない。茶化されても自分自身に原因があると自覚しており、境遇には不満でも根本的な解決には端から諦めている。また、彼は誂われても仲間はずれの状態にはなっていない。本当のいじめなら、彼のために"有料の"精神科を設けたり、学校のためでも彼を応援することはないのだから。

 クラスメイトのいる表舞台でチヤホヤされたいという欲は、小・中学校時代であれば一度は実現したくなるもの。しかし、チャーリー・ブラウンの期待した法悦の喜びは一瞬で消えて、周囲から不必要にプレッシャーをかけられて、最終的には普段どおりの残念な彼に戻っていく。そういった場面での彼の姿は、男女に関係なく自己投影したくなるほど共感しやすい。

 音楽も本作の素朴さを強調させている。音楽全般を担当したのが、テレビ版と同じくピアニストの"ヴィンス・グァラルディ"である。ゆったりとした穏やかなジャズミュージックは大変心地いい。また、スヌーピーの映像化作品を観た方なら、自ずとピーナッツの面子が想像できるほど個性的で、音楽全体のアイデンティティはかなり際立っている。

 本編中の曲の種類は方向性が真逆のもののあり興味深い。ルーシー・バイオレット・パティの3人がチャーリー・ブラウンを嘲笑する際に歌った"Failure Face"『ダメ人間』のような陽気ながらも残酷な曲が流れたかと思えば、チャーリー・ブラウンとは関係ない所でピアノを引き続けるシュローダーのクラシックが奏でられることもある。アニメの"動き"としての激しさがない分かなり目立つ。そして、この音楽の格差がチャーリー・ブラウンの"不安定"や"焦燥感"を一層際立っているのだ。

 劇場用リミテッドアニメの性ともいうべきか、時折ポップアートに感化されたような場面が登場する。ライナスとチャーリーで単語の勉強をする場面、シュローダーの脳内を投影したかのようなカラフルな場面など、飽きかけた視聴者に水をぶっかけたような不意打ちで食らわせた映像は、サイケデリックで大変癖が強い。

 なお、スペリング大会に出場するという内容は英語教育には最適なので、ご視聴の際は字幕版をどうぞ。(日本語吹き替え版は編集が荒すぎ&種類多すぎだからなあ....)

  

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