私とカートゥーンと鈴と。: 子供達だけの桃源郷。『サマー・キャンプ・アイランド』Summer Camp Island

子供達だけの桃源郷。『サマー・キャンプ・アイランド』Summer Camp Island

Summer Camp Island
サマー・キャンプ・アイランド
2018- (パイロット版2017) (米) (TVG,TVPG) 90/100
原案・製作総指揮 ジュリア・ポット
美術監督 サンドラ・リー
作画監督 リンドゼイ・ポラード
スーパーバイザー(ご意見番) ニキ・ヤン
音楽 セオ・キム、ジョン・エンロース、アルバート・フォックス、マーク・マザーズバウフ

オープニングver1


Ver2(新千歳空港国際アニメーション映画祭上映時)


マホウはホンモノ。
家から遠いここなら
なんだってできる
魔女さえいればね。
カイブツはサイコー
お月さまは友達
きみと居たいんだ
サマーキャンプアイランドでね。

パイロット版


2020年代の新世代の活躍を期待させるほんわか&ほっこり日常アニメ

 第5回新千歳空港国際アニメーション映画祭にて二度目の鑑賞。というのも、米国アマゾンの配信サービスで事前に1シーズン全てを鑑賞済みだったからだ。

 本作のクリエイターのジュリア・ポット氏が最初に注目を集めたのは、MTVの新人発掘番組『Liquid Television』の短編。バレンタインデーに放映された熊とうさぎの恋愛模様は各方面で話題となった。擬人化した動物に会話をさせる構図や胴体と頭部を繋ぐ縦長の首元は、サマー・キャンプ・アイランド(以下SCI)にも反映されている。



 子供達を中心に活躍させた日常系アニメーションは、90年代からアメリカで大流行した。赤ん坊持ちの親御さんと好奇心旺盛な赤ん坊を描いた『ラグラッツ』や、親が一切登場しない世界で腕白小僧達が活躍する『エド・エッド・エディ』など、その時代を節目に数多く登場する。そして、バツイチのシングルマザーに育てられた純粋無垢な少年を描いた『クラレンス』など、今もなお一定の人気のあるジャンルとなっている。

 サマーキャンプの文化は日本であまり浸透していないので一応解説する。

 アメリカ合衆国におけるサマーキャンプとは即ち、両親と長期間隔離して生活させるためのものである。日本でキャンプ活動を実施しても夏季休暇中(約二ヶ月)延々と滞在させることはあまりないはずだ。

 主人公の象とハリネズミは期待と不安の状態でいるが、基本的に子供達の刑務所のような描写の方が一般的だ。共働きの両親が子育ての手助けとして利用することもあるが、経済的困窮という理由を含めても、初めから都会育ちには見慣れぬ新天地が好意的に描かれることはかなり少なかった。

 『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』でも親元を離れた際にも、子供達は田舎町の新天地よりも両親の方に愛着が湧いていた。ピクサー制作のCGアニメーション『トイ・ストーリー』で隣の家の悪ガキのシドが問題を起こしてサマーキャンプから追放されたのはその一例といえる。『サウスパーク』でも障害者キャンプに置き去りにするネイサンの両親が登場するが、流石にあそこまで極端な人はいないだろう。



 さて本作『サマー・キャンプ・アイランド』で特徴的なのは4点だ。

 子供達が学校以外で集まる場所での小学生の日常

 本作で舞台となるのは、魔法と怪獣と超自然現象のるつぼと化した【SCI】。いくら詳しく説明しても、要約すればOPの歌詞通りになるのが恐ろしい。親から隔離された子供達が憧れる夢のような世界と聞くと、『ピノッキオ』に登場する怠惰の象徴のような遊園地【プレジャーアイランド】や、非現実的だけど求めて止まない楽園とは程遠い『ピーターパン』の【ネバーランド】を連想する方も多いだろう。ところが、本作に登場する島は人間を堕落させることも、現実逃避をする手助けもしてない。つまるところ、①さえ子供達を邪魔しなければ完全な桃源郷となるわけだ。

 イケイケ女子風の魔女たち①

②実は寂しがりやさん?
魔女たちが管理するサマーキャンプとはいえ、彼女達の悪魔的な性格は小生意気なギャルの範疇に収まっている。中世的な魔女なら、子供を延々と甘えさせてその子供を喰らったり、相手の動向を観察し、言葉の綾で相手を絶望させ、その一部始終をほくそ笑むようなものが一般的だった。ところが、本作に登場する彼女達は徹底的に意地悪(特にスージー)②ではあるものの、結果的には猟奇的で残忍な行動は起こさなかった。彼女達はあくまでも、児童を管理する保護者として必要最低限の権威と責任は持ち合わせいる。しかし、それ故に倫理感が皆無に等しい行動も起こすことも多々あり、彼女達の動向は主人公達以上に予想できないものとなっている。実際、本編中でも子供達を何度も瀕死寸前の状況に貶めていた。

 癒やされる背景美術

 登場する【サマーキャンプアイランド】は島としての明確な面積は不明瞭なものの、四季折々の気候と、固定概念に囚われない様々な怪物たちがひしめき合うっており、島の中だけでも可能性に満ち溢れている。映画祭での上映時にも春夏秋冬を感じさせないラインナップだった。また、映画祭で上映されたイエティ登場回の冒頭シーンの演出は『クリスマスだよ、チャーリー・ブラウン』(1965)のオマージュとなっていたものの、決して本作の作風が壊れていなかったのが素晴らしかった。

 無理矢理だと感じる後付設定が(今の所は)ない。

 これはどういうことかというと、10年代のカートゥーン・ネットワーク作品で個人的に疑問視していたことだ。『アドベンチャー・タイム』も『スティーブン・ユニバース』も『レギュラーSHOW』でも、一見普通だけど実は.... という物語の掘り下げが余りにも多かった。壮大な世界を構築する演出と捉えても、初期の方向性と真逆をいったように感じて個人的には気味が悪かった。

 話題となった『アドベンチャー・タイム』の最終話を鑑賞したときも、「いつからフィン君の恋愛劇にLGBT要素を本格的に絡めたの?」と疑わざるを得ない。正直言ってpixivdeviantARTに投稿される絵の創作を加速させるカンフル剤としか思えなかった。破壊的で起伏の激しいギャグの応酬こそが、『アドベンチャー・タイム』の本質であったはずなのに、ライトノベルの異世界系かの如く、深刻な雰囲気になるのは変でしょうがない。[投稿主はシーズン5(レベッカ・シュガー氏の離脱後)以降は余り好きではない]

 LGBT云々が海外アニメ界隈で話題になるのが問題なのではなく、元々その気配すらない世界に無理矢理絡めさせようとする展開が気に食わなかったのだ。

 日本CNへの本格的な上陸が待ち遠しい一作。

余談
 映画祭の字幕担当者が付けたウィットに富んだ台詞をもう一度観たい。

  

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