私とカートゥーンと鈴と。: 歴代グリンチ総ざらい The Grinch Chronicles

歴代グリンチ総ざらい The Grinch Chronicles

歴代グリンチ総ざらい The Grinch Chronicles
 きよしこの夜、聖なる夜。そんな時期にもってこいのアニメーションが現在全国の劇場で公開中だ。投稿主は未鑑賞なものの、古典的名作を称される『グリンチ』"the Grinch"のアニメには期待大だ。そんな訳で今回はグリンチの映像化作品について書こうと思う。

そもそもグリンチとは誰か?

 グリンチとは、アメリカ出身の絵本作家ドクター・スース(本名 セオドア・"スース"・ガイゼル)が生み出したひねくれ者のキャラクターだ。いつでも苦虫を噛み潰したような無愛想な表情で周囲の人達を寄せ付けず、クリスマスにまつわる全ての事が大大大大嫌いな正体不明の生命体。緑一色のモジャモジャ中年男性のような風貌ながらも、孤独に耐えきれないせいか、何故か可愛らしい犬・マックスも飼う変わり者だ。

※今回特集するグリンチはあくまでもクリスマスが題材の"How the Grinch stole Christmas"原作の一次創作のみ。それ以外のグリンチが登場するアニメは例外とする。



原作絵本 "How the Grinch stole Christmas!" (1957)


 ドクター・スース本人に関しては"いつか"取り上げるとして、取り敢えず絵本の説明を。ドクター・スースが執筆した絵本には、基本的に二種類存在する。文字が読めない子供達にも楽しく読めるお話と、老若男女問わず楽しめる彼の哲学が冴え渡る不思議なお話だ。本作は後者に該当する。


 いじわるグリンチはクリスマスが大嫌い。なんとかしてクリスマスをぶち壊そうとしたグリンチは、ダレモ村から、すべての"クリスマス"を盗もうとたくらむが...?


 実写映画公開と同時時に出版された翻訳版は和文のぎこちなさが目立つ。そもそも、英語の語感を軸とした文章で読ませるスースの絵本は"文化的"に翻訳不可能。韻を踏んだシニカルな台詞は彼の作風に強く影響されているため、このハンデは大変大きい。翻訳家が問題なのではなく、ジム・デイヴィスの『ガーフィールド』やルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』と同様に日本語化が不可能に等しいだけなのだ。それでも、原作の魅力は削ぎ落とされてないのでご安心を。

 原作はページ数で言えば非常にアッサリとしている。余白と書き込みのバランスが丁度いいのが素晴らしい。原作のグリンチのデザインは中世の小悪魔に毛皮を被せたような風貌で意外とチビである。また、飼い犬もスースの癖の強い作風のせいか、グリンチと同一視しがちなデザインで可愛げがない。それでも、"クリスマス"にまつわる全てのクリスマスの装飾品を奪おうとも、クリスマスを祝う合唱でそれを祝おうとするダレモ村の住民の清貧さには、後世にも語り継ぎたくなるほど身震いしてしまう。

 『グリンチ』(2018)の直接的な原作に興味がある方で日本語が読みたいなら原作絵本を。韻を踏んだリズミカルな文章も堪能したいのであれば、英語版の原作絵本かアプリ版のドクター・スース全集(基本無料)がお勧め。

 チャック・ジョーンズ版 (1966)

 個人的ベスト。こちらをどうぞ

 番外編 グリンチが登場するアニメ特番 (70~80年代)

 グリンチの初出典は詩集"The Hoobub and the Grinch"に登場する挿絵で、決してクリスマスのために特別に生み出されたキャラクターではない。しかし、ひねくれ者のグリンチの魅力に大勢が魅了されたこともあり、ぞうのホートンやロラックス、ハットしてキャットに並ぶ有名キャラクターとして名を馳せたこともあり、彼が登場するアニメーションは結構多い。 Halloween Is Grinch Night"(1977)①、The Grinch Grinches the Cat in the Hat(1982) ②にはグリンチは一応登場する。しかし、こちらの二点はスース作品のオムニバス的側面が強く、クリスマス要素は皆無のため、今はノーコメント。

 ②




 ロン・ハワード版 (2000)

原作絵本の設定を膨らませた結果賛否両論に...

ドクター・スースが描いてきたのは道徳的・哲学的要素を差し引いても、文字もまともに読めない子供達にも熟読させるような絵本だった。"現代の常識を踏襲せず"とも十二分に通用する傑作だった。

 前述のチャック版は原作者のスース自身が全面的に監修していたことと、ルーニー・テューンズの黄金期を支えたチャック・ジョーンズの見事なアニメーションの技術によって形成されていた。しかしながら、本作は製作開始の時点で彼はこの世のお人ではなかった。そもそも、スースはハリウッドの映画業界に対して慎重な姿勢であり、チャック版も彼の卓越した才能がなければ実現不可能だった。それでも、金のなる木として業界関係者から注目を集めた『グリンチ』の映像化に必死だった。

 実写版『グリンチ』は2億8千万ドルを売り上げ、2000年の全米映画界の最大ヒットになった。当時注目株であったトム・クルーズ主演の夏の大作『M:I-2』(ジョン・ウー)を土壇場で退け、クリスマスの時期はグリンチ一色に染まるほどのヒットを飛ばした。ただし、"売れるからと言って素晴らしい"とは限らない。

 この作品の問題点を先に言うと、年齢指定・ダレモ村"Whoville"の民衆・時事ネタの三点に尽きる。子供から大人にも愛される作品をなぜPG指定にする必要があったのか。理解に苦しむ。 投稿主は66年版→原作→実写の順番で鑑賞・熟読していたせいか、どうにも好きになれなかった。そもそも本作の映画化自体が、日本的に言い換えるのであれば『進撃の巨人』や『科学忍者隊ガッチャマン』、『デビルマン』の実写化と同意義なのだから。特に原作に全く馴染みのない日本人がこれを見たところで、得体の知れない化物にしか感じなかっただろう。ジム・キャリー繋がりで採用された山寺宏一氏の素晴らしい吹き替えがなければ、客足も遠のいていたはずだ。

 また、本作では"クリスマスの精神"が愚弄されていると感じるのだ。原作では、憎まれ顔のグリンチが彼の目論みに成功してもクリスマスは【困窮している人を助け、大切な家族や親族と共に過ごし、平和を推し進める】ものだと悟り改心する物語だった。ところがこちらでは、グリンチを捻くれさせた原因が意地悪なフーヴィルの村の人間達で、彼らはブラックフライデーで死に物狂いで商品をかごにつぎ込むような一般人なのである。私は序盤こそその設定を飲み込めていたが、中盤の少年期のグリンチでその不満が爆発した。グリンチとフーヴィルの立場が逆転しているどころか、グリンチが共感を呼べる純粋な善人じゃあ意味がないじゃないかと。要は本作におけるクリスマス精神が、クリスマスもクソスマスもない最悪の状態に陥っていた。

 そもそも、原作の彼はクリスマスを妬んだだけで、住民全員を恣意的に逆恨みしていた訳じゃない。彼の行動心理を妬みから復讐心や怒りに変えて、一人で孤独に引き篭もる原因をいじめられっ子の"それ"と同一視するのは、明らかにズレている。

 逆に、良いところは言うと衣装と演技である。

 主役のグリンチを演じるジム・キャリーの演技力は特出していた。CG技術がいくら発展しようと実現困難な顔芸を、特殊メイクとゴム皮を着用した状態で、違和感なく演技していたのだ。また、豊富な時事ネタを盛り込んだため、本作が『マスク』(1994)の亜種として継続して鑑賞できるのも素晴らしい。また、原作では寝ぼけて起きて来るだけの少女(演 シンディ・ルー)を重要人物として添えて、フーヴィル村の最後の良心として輝かせていたのも良い。前述のフーヴィル村の物質主義に反抗する健気な姿は、大人達が定義づけた常識に汚されない純粋無垢な子供として映る。


 イルミネーション・エンターテインメント版 (2018)

こちらをどうぞ。

  

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