私とカートゥーンと鈴と。: 僕の高校、海に沈む My Entire High School Sinking Into the Sea

僕の高校、海に沈む My Entire High School Sinking Into the Sea

僕の高校、海に沈む
My Entire High School Sinking Into the Sea

2016 (米)
監督 ダッシュ・ショー
企画 カイル・マーティン、クレイグ・ゾベル、ダッシュ・ショー
脚本 ダッシュ・ショー
主演 ジェイソン・シュワルツマン、レギー・ワッツ、マヤル・ドルフ、レナ・ダナム、スーザン・サランドン、トーマス・ジェイ・ライアン、アレックス・カルポフスキー、ジョン・キャメロン・ミッチェル
音楽 ラニシャローネ
編集 アレックス・アブラハム、ランス・エドマンズ

予告編


 恋愛感情や細やかな日常、人生の最期を抽象的に説明した題名が多い昨今。『君の膵臓をたべたい』なんて猟奇的な発言かと思いきや、健康で長らく生きていきたい気持ちの表れだったりするが、今回はど直球な題名である。まあ、原題の異様に多い文字数を見れば状況説明だと悟れるかもしれないが.....

 学園ドラマとサバイバルアクションの融合。

 『デイライト』や『ポセイドン・アドベンチャー』、『オクトパス』、『タイタニック』とパニックアクション映画は数あれど、その状況を学生達に巡り合わせた作品は珍しい。ただ、メインキャラクターの人数と状況を整理すると、『セプテントリオン』と『絶体絶命都市』の融合体のような映画なのだと実感できる。

 スクールカーストは数十人いれば、どんな学校でも自然と形成されていくもの。クラスの人気者とまではいかなくとも、せめて発言力と適度な信頼関係ぐらいは欲したくなる。主人公はこの秋で高校二年生。スクールカーストの底辺を這う彼はもう見下されずに済むと期待していた。しかし、現実はそううまくは運ばず、以前と変わらない生活のままだった。長時間の滞在が強制されたも同然の高校で居場所を無くせば、自ずと日常の些細な混沌を待ち望むもの。

 本作は、そんな混沌の中でどう生存するかを見届けるアクション大作だ。

 火事場の馬鹿力でいきなり英雄に昇格することはなく、最後の最後まで集団から疎遠になった"仲間はずれ"達の視点で物語は進行する。非常事態に仲間と連携して窮地を脱する映画は数多く存在するものの、ここまで不利な状況を観たのは久々だった。

 日本人からすれば危険視することもない僅かな地震で地盤沈下と浸水を起こす脆弱な校舎からの脱出は、少人数であれば決して危険な旅ではなかった。しかし、"人災"の犠牲にある協調性のない学生達は独自の集団を形成する。そして、それが徐々に傾斜する校舎よりも非常に厄介な関門として、主人公達に立ち塞がるのだ。

 暴徒化する上級生には現実的だと感じたものの、カルト集団めいた彼らは何なのだろうか。非常事態だというのに重商主義を貫くだけで、一歩も動こうとせず、独自の社会を形成してしまう。彼らは避難経路が通行不可になり、逃げ場を失くしても慌てない。しかし、そんな一刻を争う状況でも上下関係を重視するのは、ある意味現実的なのかもしれない。

 段階的な土砂崩れの如く、段階を踏んで上の階へと移動するメンバー。

 人間ドラマを深める為に、浸水のタイミングを遅らせることはなく、水位は時間と共に上昇していく。それに比例する形で人間も容赦なく死に絶える。はっきりとしない色彩はその惨劇をより強調させている。海にうろつくサメも我先にと学生を食い潰していく。サメ映画の惨劇よりも執念深く、何度も襲いかかる。人間の行く先を邪魔するというより、野生の本能に従って無表情で襲撃しているように感じられるのがなお怖い。

 教訓は学ぶものの、劇的に優秀な人間になったり、万能アイテムで死者はごく少数で済むなんてことはない。被害は散々たるものだし、人物の役目や人間性が急に変化することはない。クラスの人気者やいじめっ子がサメに捕食される場面で、彼らを哀れむことなく、むしろ「いい気味ね。」と嘲笑したくなるのは、人間の悲しい性であろう。

 終盤での『ピーナッツ』のオマージュのバカ踊りでスッキリと完結するアニメ映画。

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