私とカートゥーンと鈴と。: ギークの生態系をご覧あれ。『エルティングビル・クラブ』Welcome to Eltingville

ギークの生態系をご覧あれ。『エルティングビル・クラブ』Welcome to Eltingville

エルティングビル・クラブ Welcome to Eltingville
2002 (米) (TV-14) 50/100
監督・脚本・原作 エヴァン・ドーキン
原作 エルティングビル・クラブ 
監督 チャック・シーツ
テーマ曲担当 アクア・バット "Welcome to Eltingville"
音楽 デニス・M・ハニガン

 "オタク"なんて言葉で人格や身体的特徴を一括りにするのは時代錯誤。とはいえ、趣味一本に猪突猛進する余り、一般的な礼儀や最低限の法律の厳守、外見を引き締める衣装の着用を怠るのは、良くないことだ。社会の競争に負け、同調圧力に耐えきれずに自分だけの場所を追い求めたような輩が、自分だけの"特権"と勘違いして、周囲のファンを無視するような行動は決して容認できない。

 外国人が"OTAKU"という単語を"最高にクールな日本製を愛する"人達と指しているのは、素晴らしいと思う。しかし実際には、日本国内で"オタク"と指摘される人物の大半は、人気者とは程遠いコミュ障や自己中が殆ど。少し前なら、英語圏の方々に日本語の "OTAKU" は "Weeboo" (日本文化好みのオタク)や "Nerd"(内向的社会不適合者)、"Geek"(博識好みで喋りが冗長)、"Dork"(キモオタ全体を指す)、"Weirdo"(変人) と同意義の否定的な意味に捉えられる言葉だと指摘すると驚かれることが多かった。が、その認識も徐々に薄れている。そこら辺の単語の違いはこちらをどうぞ。

 リアルタイム鑑賞時は特に気にせずにほほんと画面に注目していた。カートゥーン・ネットワークでの放映時は番組の穴埋めや、ビリーアンドマンディの初上陸の同時放送として観た記憶がある。"両生類や爬虫類の光沢のある肌の気持ち悪さとは違う不気味さを持つ青年達。彼らのよくわからない日常。" 当時はそんな感覚だった。

が、改めて見直すととんでもない作品だと実感できる際物だった。

 『ビッグバン★セオリー』や『N・H・Kへようこそ』、『らき☆すた』、等オタクなネタを集約させた漫画やドラマ、アニメは多数存在するが、本作はそれらとは大きく異なる。『エルティングビル・クラブ』(以下LC)の"オタク達"は完膚なきまでに創作物にしか興味のない屑の集合体と化しているのだ。

 日本でも30年以上マスコミ関係の記事でオタク叩きを散々観てきたが、アメリカでもその事情は然程変わらない。唯一の違いは、彼らを異端児と捉えて有害物質と扱うか、糸目をつけずに金を撒き散らす変な消費者と扱うかぐらいだろう。欲しいものがあれば人を無理矢理掻き分けて我先にと目的の品を強奪。子供用の玩具に本気で群がるその姿。デブなら肉の塊、ガリなら不器用なオタク4人組。

 オタクなんてのは自ずから名乗る存在でなく、後ろ指を指されることで初めて飛び交う単語だ。最近のテレビドラマで「私、オタクです。」なんて台詞を聞いたが、人種に配慮したトークンブラックの如くいい加減に性格づける脚本家と企画者の神経には寒気がする。その点、このLCは誰も観たがらないであろう最低な行動を明確に、そして詳細に、包み隠さず描いている。また、オタクは皆そうだと闇雲に叩かずに、おもちゃ屋や路地で"一般的な"概念との対比をしているのも良い。

 「こういう奴がいるなあ」という一般人の共感と、「こんな奴には絶対になりたくない」というオタクへの反面教師として、双方が楽しめる配慮がなされていたのも良い。

 本作で残念だったのは、時代が早すぎたことと、余りにも"オタク的"だったこと。

 本作が登場した2002年というのは、『電子超人Uバード』のパロディアニメや『ホームムービーズ』などのダウナーで不条理で破壊的な演出が特徴的なアニメがカートゥーン・ネットワークCN内で流行していた。それに対して本作の場合、極一部の更に一部の層に辛うじて突き刺さるようなネタが間髪入れずに流れてくるアニメだった。

 明らかに異常な世界観でもなく、あまりにもマイナーなネタの多さは、当時のCNには受け入れられなかったのだろう。コマ撮りの過激さで大衆に納得させたロボットチキンのように事前知識無しで楽しめる奇抜さを、オタク好みの博識で補おうしていたのが惜しい。

 そもそも、作者がEvan "Dork"in なんて名前の時点で完全にカルト系に属する作品しか出来上がらないのは確実なのに、よくCNはゴーサインを出したよなあ....

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