私とカートゥーンと鈴と。: アイズナーとカッツェンバーグの功績 Were they really the Mauschwitz ?

アイズナーとカッツェンバーグの功績 Were they really the Mauschwitz ?

アイズナーとカッツェンバーグの功績
Were they really the Mauschwitz ?

 ウォルト・ディズニー・カンパニーは誇張抜きで世界一の映画会社といえる。世界恐慌、アニメーターのストライキ、W・ディズニーの死などの危機を乗り越えて、世界を股にかけた歴史的な企業であろう。ディズニーに関して、ダッフィーやマリー等のグッズや遊園地でなく、ディズニーの作品や企業そのものに関心を持った方であれば、一度は目にする名前がある。

 マイケル・アイズナーとジェフリー・カッツェンバーグ、その二人である。

 パラマウント映画の再建を成功させた有能な人材が、今度は倒産寸前だったディズニー・カンパニーの経営再建を任されたのだった。巷では、第二次黄金期を誕生させた英雄であり、ディズニーの経営に多大なる危機をもたらしたとされる二人組であるが、個人的には彼らはいくら褒めちぎろうとも褒めたりない偉大な人物達であると思う。今回はそんな彼らの功績を綴っていく。


VHS・LDリリース 劇場用作品を家庭用に販売 (アイズナー)

 80年代当時、実写・アニメーションに関係なくウォルト・ディズニー社の劇場用作品は再上映による興行の役目しか無かった。家庭用VHSといえばアメリカ人にはアメリカン・フットボールに代表されるスポーツ試合の録画が中心で、家族で観る習慣もそこまで深く定着はしていなかった。そこに目をつけたアイズナーは、1985年を境にディズニーの過去の遺産を続々と家庭用に発売することを決定した。

 既に米国内で七度も再上映されたことや、安価な海賊版コピーが形成されることを危惧した重役たち。そんな彼らの不安を他所に、そのビデオセールスは非常に効果的だった。例えば、『ピノキオ』は最初の生産で61万本を完売(1)し、最終的に累計2000万本以上のセルビデオ・レーザーディスクを出荷するに至ったという。当時のディズニーのアニメ部門は『コルドロン』の公開で4400万ドルもの損失を計上していたこともあり、即時に稼げることが必要不可欠だった。

テレビアニメの本格参入 (カッツェンバーグ)

 次に目をつけたのはミッキーマウスやドナルドダック等の過去のキャラクター達。

子供持ちの保護者がテレビアニメに望んでいたのは、人畜無害で安心な内容。
子供達が望んでいたのは、好感が持てるアニメキャラの物語。

 "ディズニー"は、その両方の要望に応えられる数少ないブランドだった。過激や暴力とは無縁の世界で活躍する、個性豊かで可愛らしい数多くのキャラクター達。それ以前のディズニー社といえばウォルト・ディズニーがディズニーランドの建設費の資金調達の一環として始めた『ディズニーランド』(1954)や、実写の寸劇と過去の劇場用作品をテレビ向けに再編集した『ミッキーマウスクラブ』(1955-1959)の放映履歴がある程度で、新規に製作したテレビ用アニメーションは全く存在しなかった。

 そして誕生したのが、『ガミーベアの冒険』、『わんぱくダック夢冒険』、『チップとデールの大作戦』等に代表されるディズニーのテレビアニメとディズニーのテレビアニメ部門だった。企画や脚本は米国内で、作画は海外にオフショアというアメリカアニメのお約束的構図で計画的に生産していった。

 1983年にサービスを開始したディズニー・チャンネルを筆頭に放映された。当時のテレビアニメには玩具販売や映画の二次ビジネスの側面が強く表れていたことも影響していたこともあり、商業主義的でないと親御さんに判断され大評判となった。(勿論、トランスフォーマーやケアベアの勢いが失速した訳ではないが。)

大元のアニメスタジオの経営改革 (カッツェンバーグ)

 カッツェンバーグの最大の功績は"ここ"にあるといえる。

 『おしゃれキャット』(1971)から『コルドロン』(1985)にまでの作品にはある共通点がある。それは、主役や準主役の登場キャラクターたちが動物であること。子供や女性に良い印象を持たれていたディズニー社は冒険的な映画を製作することを躊躇しており、若手のアニメーター達の鬱憤が溜まるばかりだった。その結果、重役達の思い描く古臭い理想像に相応しいアニメーションしか採用されなくなっていた。

 その頃は、後のディズニーを支えるアニメーター達はやりたい仕事が出来ずに続々と退社していった。(ジョン・ラセター、ブラッド・バード、ティム・バートン、ジョン・ポメロイ、ゲイリー・ゴールドマン....他にも大勢)

 1985年にカッツェンバーグがアニメスタジオに大胆な改革を次々と断行していく。まず、アニメの経営部門に居座る重役の大半を解雇。そして、アニメーションの内容にも文句を言う。ウォルト・ディズニーの影響が残るとろくさいアニメの展開に対し、脚本の練り直しを何度も要求。『コルドロン』の公開前には長すぎる上映時間を原因に添削を指示。

 1986年以降のディズニーアニメが過去のものとは決定的に違うのは、アニメのテンポそのもの。彼が関わったディズニー作品には無駄な場面も、雰囲気ありきの会話も、本筋とは一切関係ないキャラクターの掛け合いもないのだ。パラマウント映画時代の企画を持ち込んで映画化にこぎつけた『オリバー ニューヨーク子猫物語では彼の勢いが暴走気味だったせいか、ディズニー映画とは(今でも)思えない"鉄骨"制裁が悪党に施されている。

ピクサー・タッチストーン等の実写映画、映画技術の強化 (カッツェンバーグ)

 上記の経営改革に関連するが、彼はアニメーション部門というよりは、アニメに関わる全ての映像部門の改革と開発に意欲的だった。代表的なのが『ロジャー・ラビット』の製作と、当時可能性が未知数であったピクサーとの業務提携

 一応説明すると、『ロジャー・ラビット』とは1988年に公開された実写とアニメーションの合成映画。監督は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で有名なロバート・ゼメキス、製作総指揮にはスティーブン・スピルバーグといった大御所が名を連ねている。

『南部の唄』『メリー・ポピンズ』のようなただ人間とアニメが登場する映画とは一線を画する内容で、まるで"アニメキャラが現実に存在するのでは?"と錯覚するほど完成度の高い作品だった。その制作秘話は凄まじかったようで、何度も何度も制作中止の危機が迫っていたという。ロジャー・ラビットでは、人間とトゥーンの視線の調整や、一般的なアニメでは使用されない立体感のある影のエフェクト、実写映像との整合性が常に要求される映画だった。

 彼が最高責任者としてこの映画の統括を引き受けなれば、まず完成しなかったであろう。詳しく知りたい方は『ロジャー・ラビット』のブルーレイをどうぞ。

 そして、ピクサーとの業務提携。

 『オリビアちゃんの大冒険』以降のディズニー長編アニメにはCG技術が採用されている。時計塔での決戦でのガラスの破片やおびただしい数の歯車、『オリバー~』でのサイクスの車体や鉄道のモデリングなど様々。立体空間を演出するため、アニメーターの負担軽減の策として必要とされたCG技術はピクサーとの共同開発(実質的にはシルバー・スクリーン・パートナーズというタッチストーン系列の子会社)によるものだ。

 『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』(1990)からは、コンピューター上でデジタル彩色を可能にした"CAPS"の開発で着色作業が容易になり、4400万色のバリエーションでアニメーションにより深みが生まれた。

 そして忘れちゃいけない、すねをかじる為のスケープゴート金の鵞鳥としてのピクサー作品。『トイストーリー』から『カーズ』までのピクサー7作品は"不"平等な契約書で10年間拘束したこともあり、非常に高い収益性のあるドル箱作品となっていた。本家の不利益の原因となるほどに....

 なお、当時の契約書ではピクサーとディズニーとの提携では"長編6作品"とされていたものの、『トイ・ストーリー2』が家庭用OVAとして企画されたことを原因に、長編としてカウントされていなかったという。....なんと悪どい。

ディズニーランドの海外進出における活躍 (アイズナー)

 1983年に東京ディズニーランドが開園。その当時、アイズナーはこの海外提携事業には関与していない。しかしアイズナーは、1986年にオリエンタルランドに対して《東京ディズニーワールド構想》を提案する。ディズニーランドの拡張計画は後の東京ディズニー・シーの実現化につながる。また。経営的に危うい状態が続くパリ・ディズニーにも同様の構想を推進していた。90年代にはこの利益優先のテーマパーク事業に歯止めが効かなくなっていたと言える。2002年に開演した香港ディズニーランドはその一例と言えよう。

 今回はこのへんで。
 

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