私とカートゥーンと鈴と。: オギーアンドコックローチ Oggy et les Cafards

オギーアンドコックローチ Oggy et les Cafards

オギーアンドコックローチ
Oggy et les Cafards
原案 ジャン=イヴ・レインボー
製作総指揮・製作 マルク・デュ・ポンタヴィス
編集 ローラ・チャロスウェット
音楽 エルベ・レボンティア、ヒューゲス・レ・バーズ

 "海外"のアニメという紹介こそあっても、出身国に関しては詳細な説明がない限り、基本的に表記することはない。とは言うものの、シラミ潰しに、または暇さえあればテレビに齧りつく状態であれば、自ずと出身国は特定できるものだった。それ故に、このアニメがフランス出身という事実に触れても、別に驚くことはなかった。

 ただ、類似する要素を漂わせつつ、独自路線を突き進む奇抜な作風は、少年時代よりも現在のほうが斬新に映るのは、古びない魅力があることにほかならない。本作は日本上陸を成し得た仏産テレビアニメの中でも、とびきりの異国感に溢れる"カートゥーン"だ。『トータリースパイズ!』や『ワクフ』や『WITCH』のようなハイブリッド型アニメとは無縁の存在である。

本編公式


 郊外型の集合住宅地を模倣したような、馬鹿でかい家が立ち並ぶ舞台。余りにも背景が規則的過ぎて一瞬殺風景に映るものの、その大雑把さが本作のスランプスティックをより一層面白い作品へと仕上げている。一見味気ない風景を観客に刷り込ませることで、本編中の騒動に必然的に注目するのだ。ダウナー系の雰囲気を維持しつつハイテンポに歌い続けたようなオープニングから滲み出る脱力感も、それに一役買っている。

 『トムとジェリー』と同様、いやそれ以上に台詞無しを徹底した本作の大きな特徴は、オギーが家主であること。そして、童心豊かな猫達が30代だということ。『トムとジェリー』でお馴染みの家主の居ぬ間に後先考えずに舞台を荒らすのではないのだ。お隣さんの犬や友人といった新たな障害を乗り越えて、跡形もなく惨めな姿になる敗者とその過程は実に滑稽なのだ。

 作品の大まかな流れは、如何にも周囲からいじられそうな青い猫のオギーが害虫であるゴキブリ三人組に執拗深く悪戯を仕掛けられる。そして、オギーが彼らにそれ相応の制裁を加えるか、事実上の敗北宣言をするといった感じだ。

 地面に叩きつけてもスライム状に変形しそうな猫たち。カクカクした枠線のないグニャグニャしたキャラクターデザインからは、「さあ、どんな物理的衝撃にでも立ち向かうぞ!」という意思表明が感じられるのだ。特に運搬用の包装材の如くボロボロになる彼らの赤い鼻は、それを強調している。 

 また、彼らの追いかけっ子に間接的に被害に遭う方もおり、隣人の犬・ボブに関しては一種の見せ場となっている。『トムとジェリー』『ルーニー・テューンズ』のバッグス・バニーとダフィー、劇場用短編におけるディズニーのグーフィーなど、擬人化された動物たちの"過剰"で"大袈裟な"暴力表現。これらの作品は被害者の表情や肉体、そこに至る過程をエネルギッシュに、そしてダイナミックに表現することで、毒気の濃い古典的なコメディとして人気を博した。

 『オギーアンドコックローチ』の場合、ボブの制裁は発端と結果を象徴的に見せている。単純な下品さを期待する子供達には大受けし、作品を影で凝視する保護者であれば意外にも『トムとジェリー』よりも健全な作品かと判断するかもしれない。またボブの場合、オギーの事情を無視すれば、正当な行為だと伺えるのも良い。圧倒的な知名度と好感の持てるデザインを持つ彼らに対して、"健全でない"などとと言うと頓珍漢に聞こえるかもしれない。しかし、規格外の陽気さと自由奔放な展開、メインの視聴者である子供を念頭に置いたギャグ・コメディである本作と、映画館に詰め寄る老若男女を意味深長に笑わせる『トムとジェリー』。それらを比較すると本質的に"不健全"な作品がどちらかであるかは明白だろう。

 平面を無視して縦横無尽に駆け巡るダイナミックな追いかけっ子。彼らのアクションは今までの手描きアニメの方式では余りにも負担の掛かるものだった。本作では階段の手摺や無駄に長い廊下で、縦横無尽に移動するキャラを軽快に撮影している。凝った演出と想像力で奥行きを再現せずにCGを用いることで2Dアニメでありながら、柔軟性のある空間の形成を可能にしているのだ。

 劇場版や後期の作品では大衆性が強くなり、ゴギブリと猫の間の確執や登場人物の相互関係が比較的温厚になったのは少々残念だが、アニメで再現されたドタバタに目がない方にはお勧めの作品だ。

 

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