私とカートゥーンと鈴と。: アナスタシア Anastasia

アナスタシア Anastasia

アナスタシア Anastasia
監督・製作 ドン・ブルース、ゲイリー・ゴールドマン
脚本 スーザン・ゴーシャー、ブルース・グレアム、ボブ・ツディカー、ノニ・ホワイト
製作総指揮 モーリーン・ドンリー
出演者 メグ・ライアン、ジョン・キューザック
音楽 デヴィッド・ニューマン
編集 フィオナ・トレイラー
配給 20世紀フォックス
1997 94分 アメリカ

 『アメリカ物語』、『リトルフットの大冒険』、『ニムの秘密』を制作したドン・ブルースとゲイリー・ゴールドマンのコンビが製作した20世紀フォックス初のオリジナル長編アニメーション。配給担当としてはそれ以前にも経歴があるものの、自社製作は本作が初。ディズニーとその模倣が蔓延した90年代のアニメ映画の中でも比較的存在感がある。その理由は作品の素晴らしさよりも製作背景や本作の影響にある。

予告編


あらすじ

  •  ロマノフ王朝の皇女アナスタシア(アーニャ)。八歳になったある日、宮廷での招宴で彼女は祖父から宝石を纏うオルゴールとその鍵を贈られる。しかし、宴の最中に邪悪な呪術師ラスプーチンにより、皇族全員を破滅へと導く呪いをかけられ、ロシア革命が勃発。混乱の最中アナスタシアは記憶喪失となり消息不明となってしまう。その10年後、孤児となったアーニャは唯一の手掛かりとなる情報を頼りにパリへと旅立つのだった...
結論から言えば、本作はディズニーの模造品に過ぎない。しかし、その小細工はディズニーに迫るほど豪勢で、決してお手軽品ではない。公開当時の映画企業の経営陣や大半の大衆にとって、"アニメーションはディズニー"という認識があった。それは、アニメに興味のない日本人が、海外アニメと聞けば無意識のうちにディズニーに変換されるような感覚と似ている。本作が当時のアニメに対する偏見や風潮に従い、必然的にディズニー風アニメとして企画されたのは言うまでも無いだろう。

 直接的な原作は1954年の映画『追想』“Anastasia”。ロマノフ王朝の撲滅と彼らの子孫の生き残りの行方を追う悲劇だ。史実では家族と共に臨時政府に囚われとなり、17歳という若さで銃殺刑に処されている。劇場公開時は生物学的検査が未発達なこともなり、アナスタシア生存説もごく僅かに信憑性があった。既に彼女の遺体は発見されたものの、この映画でそれに期待を寄せる観客や製作者がいたのかもしれない。

 本作の難点は、画面に映る美術や音楽、展開に至る全てがディズニー映画と錯覚させる為の小細工と伺えること。ディズニー映画と間違えやすいアニメのランク付けをしたら、本作はトップ5に格付けされても不思議じゃない。

 例えば、お堅い物語を子供でも安心して楽しませる為の緩和剤。一歩間違えればロマンチックな雰囲気を壊しかねないコミック・リリーフ。『ライオンキング』のティモンとプンバァや『リトルマーメイド』のセバスチャン、『ムーラン』のムーシュ等の脇役と同一視しかねない動物の相棒が登場する。臆病さが如実に表れた声色のバルドークは、動物実験でお馴染みの白鼠を彷彿とさせることを除けば、適度なウザ可愛さを兼ね備えている。が特別斬新な訳ではなく独自性はない。

 【女は強い】と言わんばかりの、添え物というポジションから脱却するヒロイン。無闇に男性に縋ることのない姿を映そうと躍起なるのは立派だが、意固地になって相手を拒み続けるだけで微妙に愛嬌がないのが惜しい。

 長所はディズニー映画の”黄金の方程式”を徹底的に研究し、個々の要素を丁寧に取り入れているところだ。

 アニメーションは全体的に安定している。但し、70-80年代のディズニーの作風を提供したドン・ブルース監督の絵柄は見慣れないと少々キツい。ロトスコープから一定量のシワや輪郭線を消したような姿は、実年齢と見た目の齟齬を拡大させている。『天国から来たわんちゃん』の時点でキャラの線が柔軟でなくなっていたが、本作に至っては完全に彼の持ち味が消えていた。『ピートとドラゴン』での鈍感そうなエリオットを創造したとは思えないほどの変貌ぶりだ。

 歌パートと演劇パートで声優を分担。極力違和感を最小限に抑え、本編への没入感を阻害させないのは良い。変化球無しのある意味では王道的なミュージカルだが、雰囲気や台詞は当時のディズニーには中々真似出来ないだろう。

 それは彼らに発想や度胸がないのではなく、全世界の市場に徹底的に考慮する為表現への制約が厳しいのだ。例えば、ディズニーでは脇役を含めキャラが一度死ねば奇跡的な蘇生することはない。(初登場が屍の場合は除く) それは、魔法や呪術が蔓延する世界観だとしても例外ではない。ところがアナスタシアでは、悪役の目的がロマノフ家の惨殺であり劇中で明確に”死ね“という発言を残している。また、音楽で刺激を緩和させているとはいえ、規則的に砕けてゆくラスプーチンの身体はG指定スレスレの表現だ。

 そして、そんな表現がてんこ盛りの音楽が再生される"in a dark of the night"の場面は文句なしに素晴らしい。聖歌隊の芋虫達が地獄の狭間でコーラスする絵面はコメディタッチではあるものの、リズミカルでロックな曲調は一度聞いたら耳に残る。また、歌を披露するだけでなく、明確な目的の元で彼の悪事を端的に理解させているのも良い。また、他の楽曲を含めた17曲の全てが物語を補助する役目を果たしている。『魔法の剣 キャメロット』のような物語と無関係で鬱陶しい楽曲は皆無。

 また映画の良し悪しとは関係ないが、2019年現在となっては厄介な点がある。それは、本作が実質的にディズニー映画であること。ディズニーを模倣し一定の収益を収めた『アナスタシア』。そのイメージや劇中のデザインは一般客を誤解させている。商品棚に余裕のあるレンタルビデオ店や家電屋では、ディズニー作品と同列に配置させている事が多い。神経質な方やディズニー好きでも無い限り気づかない。また、ディズニー系のテレビ局で放映されることがあり余計にややこしい。

 極めつけがディズニー社の20世紀フォックス買収。本映画の製作元が本家に買収されたのは皮肉だが、これで合法的に"ディズニー"ブランドを宣伝文句にできるのは滑稽だ。

 アナスタシアがディズニープリンセスとして認識されるのもそう遠くはないだろう。

 

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